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毛皮のこと
もうずっと長いこと、「このことを書かなくちゃ」と思ってきた。
ブログを通じて知り合い、まだお会いしたことはないけれどコメントを通じておつきあいさせていただいているぷーままさんハニフラさんKyoko Alsherさんが、それぞれご自分のブログで「このこと」について記事にされているのを目にするたびに、「私も何かしなくっちゃ」と思ってきた。「このこと」を考えるととても気が重くなるし、向きあうのに相当なエネルギーを要する。今までついつい先延ばしにしてきた。

「このこと」とは「毛皮のこと」だ。

去年の11月、偶然テレビをつけたら、朝の情報番組で『ファー・オブ・ザ・イヤー 2008』の授賞式の模様を放送していた。『ファー・オブ・ザ・イヤー』とは“毛皮の普及などを目的として、さまざまな分野で活躍し、外面だけでなく内面でも「最も毛皮の似合う人」を表彰するもの”だそうで、すでに4回目を数えている 。(第1回はトリノ五輪フィギュアスケート金メダリストの荒川静香だというから驚いてしまった。皆さんご存じでしたか?)
授賞式で、賞品として贈られた500万円の毛皮を着て晴れがましい笑顔をみせる受賞者男女の顔を見、あまりに無邪気なコメントを聞いて、腰くだけになった。(※↑クリックで授賞式の記事に飛びます。)
そして、「これが現状なのだ」と思った。「知らない」ということで、加担してしまう・・・これが現状。

「なにもン百万円もする毛皮のコートのことを言っているのじゃないよ。そんな非現実的な話じゃない。ふつうのお店で売っているジャケットやコート。あの縁についているふわふわの飾り。あれにだって、本物の毛皮が使われていることがあるんだよ」「えぇ!? だって安いよ?」「安いものこそ問題なんだよ。本物の毛皮の多くが、人件費の安い中国で毛皮を取るために生産された動物のもので、その中には犬や猫も含まれているんだ」「うそだあ!」「うそじゃないよ。どうしたら安く効率的に生産できるかを追求した結果。本当、イヤになるよ・・・」

1月24日のぷーままさんのブログの記事「毛皮はいらない・2 また、気の重い話題をしなくてはならない」を読んで、ここ数日ずっと、そのことが頭のどこかに貼りついていた。(※ぜひクリックして読んで下さい。できれば、その1も。ぷーままさんのお人柄の現れたすばらしい文章ですから。) 私がここで、ああでもない、こうでもない、うぅ全部消す! …などとやっている間にも、「かわいいから」と、知らずに買ってしまう人がいるかもしれない。どうか買わないでもらいたい。買わないことが、負の循環を断ち切るために私たちにできる唯一の確実な方法なのだ。

毛皮反対の団体のHPには、毛皮産業の実状を紹介したかなりショッキングな画像や映像がある。私は勇気を振り絞って見た。そして打ちのめされた。(現在はだいぶん改善されたというけれど、新しい資料を見ていないのでどれほどのものかわからない。想像でものを言ってはいけないけれど、出回っている製品の多さから想像すると、状況がよくなっているとは到底思えないのだけど…。)このようにハナ息荒く書くと、「ナニ熱くなってんの? ウザ」とか言われてしまうかもしれない。ハニフラさんのブログの記事「雪の日に考える」は、静かな語り口ながら実に核心をついていて、自然と引き込まれてしまう。(※こちらもクリックしてぜひ読んで下さい。)そして、まずはよくよく考えようではありませんか。

Kyokoさんのブログの記事「毛皮の話」は、毛皮を入口にしながらも、ドイツの動物愛護の現状から日本のペットブームへの警鐘にいたるまで広く語られていて、やはり動物と深く向きあっておられるお人柄が滲み出ている。(※クリックしてぜひ読んで下さい。)「私は人間のエゴのために犠牲になった動物の残骸で自分を着飾るよりも、幸せに生きているボダイのぬくもりを命として感じたい。」に激しく同感します!

「知らない」ことで加担してしまう負の循環を断ち切るために、「知らせる努力」をしなければ。明らかな「毛皮」でなくとも、ジャケットやコート、ジャンパーの襟や縁の飾り。手袋や襟巻き、帽子。中には100円ショップに売られているキーホルダーなども。買う前に、それがリアル・ファー(本物の毛皮)かフェイク・ファーか、どうかタグを見て確認して下さい。現状を知っていれば、おそらく買う気にはならないでしょう? 現実が、現状があまりに酷すぎると、想像力が追いつかない。私たちの想像力は残酷でない方へとシフトしていきがちだ。「運悪く罠にかかった動物、猟師に鉄砲で撃たれた動物」 そうじゃない。毛皮を取るためだけに繁殖させられた動物。殴り殺され、ひどいと生きたまま皮を剥がれる。「まさかそんなことが?」 そのまさかが行われている。

「もし、すでに毛皮を持っていたら?」 実はうちにも、キツネの毛皮と、昔お土産にもらった本物のアザラシの毛皮でできたぬいぐるみみたいな剥製みたいなもの、などがある。それらは、まだ知らなかった頃、深く考えずに買ってしまったりもらったりしたものだ。命を落とした動物たちのことを思うと、とても捨てたりはできない。その命に感謝して大事にすることが、せめてもの供養になると思いたい。過去へ向かって時を進めることはできないけれど、未来は変えられると思う。
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最後まで読んで下さってありがとうございます。
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by saltyspeedy | 2009-01-27 23:59 | 動物たちのこと