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桜 雑感
我が世の春といわんばかりに桜が満開だけれど、相変わらず気分は低空飛行。桜の季節になるといつも、故杉浦日向子さんの傑作漫画『百物語』のなかの、大の桜嫌いの男の話を思い出してしまう。
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その男、「或る茶席で談笑していた折、突然冷や汗を流し、唇まで見る見る紫に変じて、毒と見まごう程になった。訳を知る亭主が「桜」と気付き茶室を調べたが、生け花は元より、掛け軸も、茶器も、桜にちなむ物は、菓子、小物に至るまでひとつもない。よくよく探せば、本人も亭主もそれと知らず、懐紙に桜紋の透かしがあった。芝居で、薄紙の花吹雪が舞うのを見ただけで卒倒する男だ。それだから、毎年、桜の時期には、雨戸を閉ざして物も食わずに部屋に籠っている」。

桜を眺めるのも桜餅を食すのも大の好物というその男の娘は、花を愛でた帰りには、父に気を遣って湯屋(銭湯)に寄り、体についた桜の香を落として帰るのだとか。「桜が三日で終わる花で幸いだ。椿なら三月も咲く処だ」と、語り手のご隠居が落としたところで、話は終わる。
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この男の症状は、いかにも桜アレルギーのアナフィラキシーショックなのだけれど、懐紙の桜紋までダメとはまた徹底したものだ。日向子さんの語りは、これは本当に創作なのかしらん?と疑ってしまうほどに、まるで見てきたよう・聞いてきたようなリアリティをもって記憶の奥底にするりと滑り込んでしまう。そして沈殿した記憶は、視覚、嗅覚など五感を通して突如掘り起こされて来るから、しんと静まりかえった満開の桜が、時として居るのか居ないのかもわからない大の桜嫌いの男の話を連れてくる。

リアリティとはひとえに細部の積み重ねの上に存在するものだけれど、「説明」せずに細部を書ける/描ける人って、なかなかいない。「それを言っちゃあ、お終えよォ〜」ってことを平気で書いちゃう人のなんと多いことか(自分を含めて。こんなことを書いていること自体、野暮の極みに違えねぇや)。というわけで、どこかに居るかもしれない桜嫌いの人、ご愁傷様。でも、熱が下がるように、じきに花の時期は終わりますから。

今年つくづく感じたことは「桜なんか写すもんじゃない」ということ。
思わず「あっ」と息を飲むあの感じは、私なんぞに到底とらまえられるもんじゃない。写した写真を見て感じたガッカリ感たるや…、子どもの発表会のときと一緒だ。
発表会も桜も、これからは目の奥でシャッターを押し、からだ全体に浴びることにしようと思う。(と言いつつ、とらまえたい誘惑に勝てない気もするのだけれど…)
by saltyspeedy | 2009-04-08 22:05 | よしなしごと
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